作編曲をIOSYSが担当し、高速ギターとサイケデリックなシンセをベースに、耳に張り付く“ウィマーマ”コールを散りばめた中毒性の高い楽曲に仕上がっている。
MVは2Dアニメーションで描かれ、「9歳のうい」と「16歳のうい」が対峙する構図が高クオリティで展開。配信直後から「神MV」「アニメ化希望」の声がSNSを埋め尽くした。
キャッチーなフックの裏に潜むのは、“母性”と“自己”をめぐる哲学的問い――聴けば聴くほど深く引き込まれる、新年最初の“狂気の子守唄”である。

歌詞
「せーのっ!」
(ウィマーマ ウィマッマ)
(バブーリタイナー Uh!)
(ウィマーマ ウィマッマ)
(バブーリタイナー Uh!)
(ウィマーマ ウィマッマ)
(バブーリタイナー Uh!)
(ウィマーマ ウィマッマ)
「Yo Yo Yo! 9歳
マイク片手に 颯爽登場
カリスマ性 感度良好
こいよ 16歳w」
「ほんっとーにキモいな……」
かつて、聖なるインターネットに蔓延る
愚かな人たちを浄化した、一筋の光
――「ういビーム」
おにーちゃん、おねーちゃんたちは反省して
原初の母へ、祈りを捧げるのであった!
ロリロリ神降臨って
ゴミゴミ大行進
超キモイ愛のミーム
正味興味ない Calling
先生!あの人怖いです〜ぅ(だから)
ママのおひざでねんねしな〜w
ちょっちょーい!
ゴミ!カス!半年ROMれ!
わたしは お前らの ママじゃなーいッ!(え〜!?)
ゴロゴロすんな!スリスリすんな!
甘えてくんな!寄ってくんな!
助かる〜じゃないんだよ。
バーカ、バーカ、アホ!
コンプラだらけ 辛すぎ 世の中
粛聖 抑制 異常性(Say!)
新たな神を産み出すしかないや
(嫌)いや(嫌)イヤ〜〜〜〜〜
儘よ
マッマーオギャオギャ(オギャ〜〜〜\(^o^)/)
夕焼け小焼けで お家へ帰りましょう(YES!)
妄想 ぶっ壊して 創世
やめてくれ
わからせてやんよ
バトれ
マッマーオギャオギャ(オギャ〜〜〜\(^o^)/)
産まれたて 吼えろ言葉の弾丸を(BANG!)
誰も居ない ゆりかごで
あんたが神になるしかないだろ
(Lonely Goddess……)
は? 産まれ直したいって? キモいが?w
オギャオギャ みっともない 鏡ご覧どうぞ
ガミガミっとうるさい 流行りの女の子
伝えなきゃだなぁ 愛の親孝行
(マーマ!マーマ!ちゅきちゅきマーマ!)
「カモーン!」
(マーマ!マーマ!たちゅけてマーマ!)
「えっ、ちょ、なに?」
(マーマ!マーマ!ちゅきちゅきマーマ!)
「もっと!」
(マーマ!マーマ!こっち向いてマーマ!)
「うわっ、なんか降りてきた……」
(マーマ!マーマ!ウィッマッマー!)
「ママは、全てを赦します……」
(ママァ……ママ様ァ……)
「おまえらっ!ひれ伏せ!!」
\はは〜〜〜〜〜〜〜〜!!/
「ママ様の前だぞ〜!!」
\はは〜〜〜〜〜〜〜〜!!/
「産まれ直したいか〜〜〜!?」
\はは〜〜〜〜〜〜〜〜!!/
「助けてほしいか〜〜〜!?」
\はは〜〜〜〜〜〜〜〜!!/
「助けて欲しいのはこっちだが!?」
\はは〜〜〜〜〜〜〜〜!!/
「お前ら、正気か!?」
\はは〜〜〜〜〜〜〜〜!!/
「いい歳した大人がよォ〜?」
\はは〜〜〜〜〜〜〜〜!!/
「いくつになっても!!」
\だいちゅきウィマーマ〜〜〜〜!!!!/
マッマーオギャオギャ(オギャ〜〜〜\(^o^)/)
ねんねんころりよ お家へ還りましょう(YES!)
あーもう おしまいだ 現世
やり直せ
それもまた人生
だから
マッマーオギャオギャ(オギャ〜〜〜\(^o^)/)
産まれたて 吼えろ言葉の弾丸を(BANG!)
誰も居ない ゆりかごで
あんたが神になるしかないだろ
誰も居ない ゆりかごで
お前が始めた物語だろ
(ウィマーマ ウィマッマ)
(バブーリタイナー Uh!)
(ウィマーマ ウィマッマ)
(バブーリタイナー Uh!)
(ウィマーマ ウィマッマ)
(バブーリタイナー Uh!)
(ウィマーマ ウィマッマ)
おっきなお友達のみんなえ
お前らが叫んでる姿を、みぃーんな見ているよ
でも、いいんだよね? シアワセなんだよね?
よかったね^^
マッマーオギャオギャ(マッマーオギャオギャ)
マッマーオギャオギャ(マッマーオギャオギャ)
マッマーオギャオギャ(マッマーオギャオギャ)
マッマーオギャオギャ(マッマーオギャオギャ)
「バブ……」
歌詞意味
9歳=無垢で暴走する“原初の自我”
16歳=世間の目を意識してしまう“社会化された自我”
二者の掛け合いは、まるで心の中で交わされる“母性”と“自立”の議論。
「わたしはお前らのママじゃなーいッ!」は、無理に母性を押しつけられることへの拒絶。
「誰も居ないゆりかごで/あんたが神になるしかない」は、最終的に“自分自身を産む”覚悟を促すメッセージ。
“オギャオギャ”は単なる嬰児の泣き声ではなく、
“新しい自分を生み落とす瞬間”の叫びなのだ。
まとめ
聴けば一度で頭に張り付く“ウィマーマ”コールは、同時に“自分を産む痛み”を想起させる。
9歳と16歳、過去と現在、依存と自立――
二つの声が交差するたび、私たちはゆりかごの中で再び“神”になる選択を迫られる。
だからこそ、最後の「バブ……」は静かな覚悟の息吹に聞こえる。
――産まれ直すのは怖くない。
怖いのは、産まれ直す場所を“自分で選ばない”ことだ。