歌曲紹介
「輪廻る」は、Adoプロデュースのレトロホラーアイドルグループ「ファントムシータ(怪忌蝶)」の楽曲である。グループは2024年6月26日にデビューし、「レトロホラー」をコンセプトに活動している[^30^]。彼女たちは現代のアイドルを「蝶」に例えるなら、自身は「蛾(怪忌蝶)」という異端的な存在として、美しくも恐ろしい世界観を提示している。
この「輪廻る」は、輪廻転生と運命の再会をテーマにした楽曲で、ファントムシータ特有の「怖くて美しい」世界観が色濃く表現されている。作詞・作曲者名は明記されていないが、グループの持つダークで耽美的な雰囲気と、切なくも力強い愛の物語が融合した作品となっている。

歌詞
君と今も君と来もきっと恋して痛い
何年
経っても何個年あっても決して変わらないか
シと過ぎ去ってみんな全て忘れて何度
生まれ変わっても
また君と
巡り合いたい
運命
と呼ぶ
宇宙の
私という役名を精たの
あと何万年過ぎ去も生徒の形変わりても
すぐに君のこと呼び出せるの
この魂が戦立
私のは私
君と生きる私
の銀ガで行くこと違い
たい
の季節を怒して記憶を全て消えたって闇を
抜けたそのさで
また君と
光を見
そして君と
巡り合いあ
歌詞意味解釈
【イントロ〜Aメロ】永遠の恋と痛み
「君と今も君と来もきっと恋して痛い」という冒頭のフレーズは、現在も、これからも、きっと君を愛し続ける——しかしその愛は痛みを伴うものだという切ない告白から始まる。「恋して痛い」という表現は、愛することの歓びと苦しみが表裏一体であることを示唆している。
「何年/経っても何個年あっても決して変わらないか」では、時間の経過(何年)と空間の反復(何個年)を掛け合わせることで、いかなる時空を超えても変わらぬ愛を宣言している。「シと過ぎ去って」は「死と過ぎ去って」の意味と解釈でき、死すらも愛を終わらせることができないという強い意志が込められている。
【Bメロ】輪廻と運命
「生まれ変わっても/また君と/巡り合いたい」というフレーズは、輪廻転生の概念を明確に取り入れている。何度生まれ変わっても、同じ相手と再会したいという願望は、仏教的な輪廻思想と西洋的なソウルメイトの概念が融合した表現と言える。
「運命/と呼ぶ/宇宙の」という短いフレーズの連続は、この再会が単なる偶然ではなく、宇宙規模の運命として定められていることを示唆している。そして「私という役名を精たの」は、「私」という存在が宇宙という大舞台における一つの役割(役名)に過ぎないという、謙虚でありながらも壮大な世界観を提示している。
【サビ】魂の呼び出し
「あと何万年過ぎ去も生徒の形変わりても/すぐに君のこと呼び出せるの」では、何万年という永劫の時を経て、肉体(生徒の形)が変わっても、魂は相手を瞬時に見つけ出せるという確信が歌われている。「生徒」は「死体」の誤字または比喩的表現と解釈でき、肉体の死滅すらも魂の繋がりを断ち切れないことを意味している。
「この魂が戦立」は「この魂が戦い立つ」または「この魂が屹立(そりつ)する」という意味合いで、幾多の輪廻を超えても魂が屹立し続ける強さを表現している。「私のは私/君と生きる私」という言い回しは、自分自身のアイデンティティと、君との関係性における自分という二重性を示唆している。
【Cメロ】銀河の違いと再会
「の銀ガで行くこと違い」は「の銀河で行くこと違い」と読め、銀河を越えて行く道の違い——つまり別々の人生を歩んだとしても——という意味と解釈できる。「たい/の季節を怒して」は「大切な季節を越えて」の意味合いで、大切な時間を経てもという意味となる。
「記憶を全て消えたって闇を/抜けたそのさで」では、輪廻によって記憶が失われても、闇(死や無明)を抜けたその先で、再び君と光を見ることができるという希望が歌われている。「また君と/光を見/そして君と/巡り合いあ」という結末は、闇を抜けた先に待つ光と、そこでの再会を肯定する、力強い決意の表明となっている。
まとめ
「輪廻る」は、ファントムシータの「レトロホラー」コンセプトと、永遠の愛と輪廻転生という普遍的なテーマが融合した楽曲である。グループ名の「怪忌蝶(カイキチョウ)」——怪しくも美しい蛾——のイメージと重ね合わせると、蝶のように華やかな恋ではなく、蛾が灯火に惹かれるように、幾度となく輪廻する運命の相手に惹かれ続ける、切なくも美しい愛の物語と解釈できる。
歌詞中に見られる誤字や独特の表記(「生徒」「銀ガ」など)は、輪廻による記憶の曖昧さや、魂と肉体のズレを表現している可能性もある。ファントムシータ特有の「怖くて美しい」世界観は、この楽曲においても「死と再生」「闇と光」「別れと再会」という対比的なテーマを通じて表現されており、聴く者に深い余韻を残す作品となっている。