楽曲紹介
大森元貴の新曲「催し」は、2026年4月27日にデジタルシングルとして配信リリースされた楽曲です。同曲は日本テレビの報道番組『news zero』の新テーマ曲として書き下ろされたもので、大森元貴ならではの鋭い社会観察と、温かい人間性が同居する一曲となっています。

大森元貴はMrs. GREEN APPLEのボーカル・ギターとして活動する傍ら、ソロアーティストとしても精力的に活動を展開。2024年にはソロアルバム『French』をリリースし、独自の音楽性を確立してきました。今回の「催し」は、報道番組のテーマ曲という性質上、より多くの人々の心に届くメッセージ性を持ちながらも、大森らしい詩的な言葉選びと、奥行きのあるメロディラインが特徴的です。
リリースに先駆けてジャケット写真が公開され、4月28日にはAWAラウンジでのリスニングパーティーが開催されるなど、ファンを中心に大きな注目を集めています。番組『news zero』の新しい顔として、毎日多くの視聴者に楽曲が届けられることでしょう。
歌詞
作詞:大森元貴
作曲:大森元貴
倍になった
不安だって
捨てる場所なんか
「もう無くなっちゃった」って
ぶつけたいこの愛情は
歪な芸術に昇華されまして
優越に浸った瞬間に
足元を掬われちゃったりして
信じたこの先に
何があるのか
もうわかんないよ
まだ知らないよ
世界を包んでいる
愛の形を
もうわかんないよ
私の不安感を
いつかの誰かが
抱きしめてくれるまで
いつだっけ 嘘を覚えたのは
いつだっけ それすら忘れたのは
味方が居ない様な気さえしてんだ
手を広げて待っているのに
もうわかんないよ
まだ知らないよ
僕を表す
本当の形を
もうわかんないよ
人の異常性を
いつかの何かが
暴いてくれるまで
善良な生き物ね
明日が来るって
当たり前だもんね
そうだもんね
都合良い人ね
私も含めて
誰かの傷を見落としてね
もうわかんないよ
まだ知らないよ
世界を包んでいる
愛の形を
もうわかんないよ
誰かの不安感を
いつかの私が
抱きしめてあげられるまで
食う喰われる
世は報われる?
かなしいかな
打つ 夜の鼓動
麗しい景色に奪われる
たのしいかな
明日の催し
歌詞意味解釈
【イントロダクション】倍増する不安と愛情の行方
「倍になった/不安だって/捨てる場所なんか/『もう無くなっちゃった』って」という冒頭から、現代社会における不安の肥大化が描かれています。不安が「倍になった」と表現されることで、増幅していく負の感情の重さが伝わってきます。そして「捨てる場所なんかもう無くなっちゃった」という一節は、不安を吐き出す場所、受け止めてくれる存在が失われていく現代の孤独を象徴しています。
「ぶつけたいこの愛情は/歪な芸術に昇華されまして」という表現が特に印象的です。本来は誰かに向けたい愛情が、向ける相手がいないがゆえに「歪な芸術」へと変容してしまう——この「歪な」という修飾語には、美しくも不気味な、正規の形から外れたものへの憧憬と恐れが同居しています。芸術への昇華は救いであり、同時に歪んだ感情の証でもあるのです。
【Aメロ】優越感と脆さの間で
「優越に浸った瞬間に/足元を掬われちゃったりして」は、自己陶酔の瞬間に現実を突きつけられる人間の滑稽さを描いています。誰もが一度は経験する「調子に乗ったら転ぶ」という構造を、詩的に昇華しています。
「信じたこの先に/何があるのか」という問いかけは、報道番組『news zero』のテーマ曲として選ばれた意味を強く感じさせる一節です。情報の氾濫する現代、私たちは「信じる」こと自体に疲弊しています。信じた先に何があるのか——この問いは、番組が毎日伝えるニュースの本質でもあり、個人の生きる意味を問う普遍的な問いでもあります。
【Bメロ】「わからない」の反復と愛の探求
「もうわかんないよ/まだ知らないよ」というフレーズが何度も繰り返されることで、認識の限界と、それでも知ろうとする意志の間の葛藤が表現されています。「世界を包んでいる/愛の形を」——この「愛の形」を探す旅は、大森元貴の音楽的テーマの一つでもあります。
「私の不安感を/いつかの誰かが/抱きしめてくれるまで」という部分は、他者からの救いを待つ姿勢と、それを待つことへの諦念が混在しています。「いつかの誰か」という未特定の存在への依存は、現代人の孤独の証左とも言えるでしょう。
【Aメロ2】嘘と味方の喪失
「いつだっけ 嘘を覚えたのは/いつだっけ それすら忘れたのは」——嘘をつくことを覚えた時期と、それすら忘れてしまった時期。つまり、嘘をつくことが日常化してしまった状態が描かれています。これは個人の倫理観の喪失だけでなく、情報社会における真実と虚構の混在をも指しているように感じられます。
「味方が居ない様な気さえしてんだ/手を広げて待っているのに」という一節は、救いを求めているのに、誰も助けに来ない——そんな悲しみが込められています。「手を広げて待つ」という受動的な姿勢と、「味方が居ない」という認識の間に生じる乖離が、現代の人間関係の難しさを象徴しています。
【Bメロ2】自己同一性と人間性の問い
「僕を表す/本当の形を」という探求は、自己同一性の危機を反映しています。SNS時代、私たちは常に「どう見られるか」を意識し、「本当の形」を見失いがちです。「人の異常性を/いつかの何かが/暴いてくれるまで」という部分は、人間の暗部を暴き出す何か——それは恋か、事件か、時代の変化か——を待つ姿勢を示しています。
【Cメロ】善良という名の盲目
「善良な生き物ね/明日が来るって/当たり前だもんね/そうだもんね」——この一節は皮肉を込めた表現です。「善良」であることと、「明日が来ることを当たり前に思う」ことが、実は同じ構造の楽観主義であることを示唆しています。
「都合良い人ね/私も含めて/誰かの傷を見落としてね」——ここで大森は自己を含めた批判を行います。「都合のいい人」は、自分の都合のいいように世界を解釈し、誰かの傷を見落としてしまう。そして「私も含めて」という言葉が、この批判の普遍性を保証します。誰もが加害者であり、同時に被害者である——そんな複雑な人間の生態が描かれています。
【ラストサビ】抱擁の循環
三番目の「もうわかんないよ」では、「誰かの不安感を/いつかの私が/抱きしめてあげられるまで」というフレーズに変化があります。最初は「誰かに抱きしめてもらう」ことを待っていたのが、今度は「私が誰かを抱きしめる」側へと転換しています。不安を受け取る側から、不安を受け止める側へ——この循環こそが「愛の形」なのかもしれません。
【アウトロ】世の中の報いと明日への問い
「食う喰われる/世は報われる?/かなしいかな」——古典的な言い回しを用いながら、現代社会の生存競争を描いています。「報われる」という言葉の響きは、仏教的な因果応報の概念を想起させますが、そこに確定的な答えは与えられません。
「打つ 夜の鼓動/麗しい景色に奪われる/たのしいかな」——夜の鼓動が打ち、美しい景色に心を奪われる。そして問われる「たのしいかな」。この問いは、美しいものに心を奪われる瞬間の喜びと、その裏にある空虚感を同時に映し出しています。
最後の「明日の催し」というタイトル回収は、全曲を締めくくるにふさわしい余韻を残します。「催し」という言葉には、イベント、行事、そして「もよおし」——何かが起こる予感——という意味が込められています。明日は何かが起こる。それが希望なのか、絶望なのか、あるいは単なる日常なのか——聴く者の胸に問いかけが投げかけられます。
まとめ
大森元貴「催し」は、報道番組『news zero』のテーマ曲として生まれた楽曲でありながら、単なる「明るい応援歌」には収まらない深い内省を促す作品です。「もうわかんないよ/まだ知らないよ」というフレーズの反復は、情報過多の現代における認識の限界を自覚した上で、それでも「知ろうとする」姿勢を崩さない意志を表現しています。
「愛の形」を探す旅の中で、大森は「不安」を肯定しませんが、それを隠すこともしません。むしろ「不安」を言語化し、旋律に乗せることで、聴く者の中にある同じ感情を照らし出します。そして最後には、誰かに抱きしめてもらう側から、誰かを抱きしめる側への視点転換を提示し、愛の循環の可能性を示唆しています。
「善良な生き物ね/明日が来るって/当たり前だもんね」という一節は、私たちが当たり前に思っている「明日」が、実は当たり前ではないこと——報道番組が毎日伝えるニュースが教えてくれること——を静かに伝えています。そして「明日の催し」という言葉は、不確かな未来への期待と不安を内包しながら、それでも前に進む勇気を与えてくれます。
大森元貴の詩的な世界観と、社会への鋭いまなざしが融合した本作は、2026年のJ-POPシーンにおいて、単なるタイアップ曲を超えた普遍的な価値を持つ楽曲として、長く語り継がれることでしょう。